選挙の演説は、「路上ライブ」と似ている
私はシンガーなので、同じように奮闘しているシンガーの友人が周りに大勢いる。
今日も新宿や渋谷、原宿や川崎など全国で沢山の音楽人が歌を歌い、演奏していただろう。
違法ではあるが、お縄を覚悟で皆自己を主張しているのだ。
音楽というのは、元を辿れば人のために作られているものではないと私は思っている。
自分の生き様や直面した問題、そこからどうしていきたいか、どうするべきかを自分自身に問いかけ、自問自答を行なっているのが、歌だ。
「なぁ、皆もそう思うだろ?」
は、その次の段階にあるもの。
そこに共感した人はその音に耳を傾けてるし、納得し、その人の生き様と照らし合わせ、口ずさむ。
路上ライブは、そんな発見と出会いが生まれる場所。
選挙の演説もそれと似ているのかもしれない。
違いといえば、国が認めているか認めていないか、車に乗りながら出来るか出来ないか。メロディがあるかないかくらいだ。
彼らも喉を枯らし、自分が体験したことからどうしていくべきか、どうしたいか、を主張している。
根本的にやっていることは同じなんだ。
それに共感するものもいるし、何を言っているんだと無視をするものもいる。
騒音だと思い、耳を塞ぐ者もいるだろう。
いかに路上でかゆい部分に手を届く言葉を投げかけられるかが重要であるのかもしれない。
そうそう、私もそう思っていた。私もその言葉が出てこなかったんだけど、つまりそれを言いたかったし感じていたの。
という気付きを与える事が出来た時、人の心に声が届くんだと私は思う。
逆に言えば、路上ライブは演説と似ている。
違いといえば、国が認めているか認めていないか、車に乗りながら出来るか出来ないか。メロディがあるかないかくらいだ。
今回の選挙はもうそろそろ終わるが、我々音楽人達の演説は明日も明後日も、死ぬまで続いていくのだろうな。と思いながら、タピオカをすすって自宅に向かった日曜日だった。